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zoom RSS まじめに働くことが神の喜びという考え方

<<   作成日時 : 2012/08/15 00:45   >>

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 貧困観のターニングポイントだった救貧法の制定。それまでは、貧困は憐みの対象として、カトリック修道会が中心に行ってきましたが、宗教改革に影響を受けてからは、貧困は堕落としてみなされ、人格の矯正または徹底的な労働強化の対象になりました。 


 宗教改革については、述べてきたとおりですが、この宗教改革をリードしたルターとカルヴァンの考え方について、少々その周辺を理解していく必要があると思いまいます。

ルターの義の考え方は、すでに述べたとおりです。義とは、自らが追い求めるのものではなく、神様の一方的な愛の中で成就することであるとしました。

だから、人間はつつましく生きていく、神への絶対的信頼の中で、日々を淡々とこつこつと生きていくことが重要だと考えました。

一方、カルヴァンは、禁欲的に職業に励めば、収入を得ることができるそしてそれを蓄えてまた禁欲的に仕事のためにつかうことが大切だと考えていました。

 この背景には、人は予め神から定められた人生を歩むとする予定説があり、禁欲的に天命を務めていれば必ず成功するという考え方です。実はこの天命がドイツ語のBerufにあたり、これを職業とも訳されるのです。

英語でも転職をcallingsといい、神様から与えられた仕事いう意味が込められています。

マックスヴェーバーは、このカルヴァン主義がアメリカに影響を与え、資本主義が形成されたといわゆる「プロ倫」でのべていますが、私は、カルヴァンの考え方とルターのとらえ方は相似形ではないかと思っています。

 ルターも慎みをもって生きる事、まじめに働くことの重要さをいっているのですから。

このような中で、貧困の問題は、個人の倫理と明確に関係づけられるようになりました。

既に述べているように、カルヴァンの「働くもの食うべからず」は、働けるのに働かない者へは『飢餓のムチ』を、一方働けない者には「十分な愛を」という構造になっており、これがいわゆる価値ある貧困、と価値のない貧困に峻別されたそもそもの根拠ではなかったのだろうかと考えています。

このように読み解くの中で、私が今、どうしてもわからないのは、この労働と貧困のリンクをあれほどまでに聖書を読みつくしたルターは、どこに根源的な根拠を置いているのかということです。

いったい、共観福音書といわれる、どこにイエスキリストの言葉としてこの貧困が位置づけられているか、記されているのか

そもそも、イエスキリストという存在は、貧困という問題をどのように考えていたのかということです。ここがわからずして、私の歴史は進めないのです。だからここは専門家にお聞きしたいと思っています。

なんと、9月になったら、専門家と話せるチャンセルがあるようですので、またお知らせします。


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