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<<   作成日時 : 2012/08/07 00:47   >>

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 エリザベス救貧法制定に影響与えたのが「宗教改革」であったことは何度もお話しました。

 エリザベス救貧法は、後の社会福祉政策に多大な影響を与えた制度ですが、改めて、この制度に影響を与えた宗教改革について考えながら、働くことについて、思索を深めましょう。

 宗教改革、すなわち、ローマカトリックの在り方を否定して、新たなるキリスト教の世界をつくったこの改革の中心的な存在の一人がマルティン・ルターであることはお話しました。

 そもそもルターは、法学を目指すほどの天才で、父親も相当な彼への思い入れがあったようです。しかし、ルターは、そんな思いを無視するかのように、カトリックの修道僧(ブラザー)になります。でも彼は、唯々諾々と上からの教えを守って生きるような人間ではなかったのです。

長い経緯があるので省きますが、彼は彼が全身全霊捧げてきたカトリックの堕落に強い憤りをもったのでした。それを象徴しているのがいわゆる「免罪符」事件でした。

カトリックの司祭、神父は、プロテスタントの牧師とは違う役割や働きが今でもあります。

例えば、キリストの血と体を預かる聖体拝領、プロテスタントでいう聖餐は、キリストの最後の晩餐を思い起こす意味で、そしてそのキリストを今私に生き生きと甦らせる意味で、パンと葡萄酒を飲食しますが、プロテスタントではあくまでもこのパンと葡萄酒は象徴です。
しかしカトリックでは、司祭が渡すパンと葡萄酒は、司祭が関与した時点で、キリスト体と血に変わります。

だから、彼らは聖体拝領の時は、パンの粉一つも残さず食します。パンは聖なるものなのです。

このように、カトリックでは司祭は、宗教的なある意味での全知全能の力を与えられているといえば言いすぎですが、ある種のキリストの体現者的存在だと考えることができます。

その神父たちが、このお守りを買えば、あなたは天国に行けると説いていたのですから、民衆は、飛びつくでしょう。皆、怖いのですから、あの世へ行くことは。

しかし、ルターは、このあり方は、堕落以外何物でもないと強く感じていました。だから彼の思想は、神の言葉そのものに回帰することだったのです。キリストの言葉へ、聖書の言葉に立ち戻る。言葉へ、言葉へと。

今日ここまでとします。


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