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zoom RSS 働くこととは何か

<<   作成日時 : 2012/08/06 00:32   >>

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そもそも働くとはどのような意味があったのでしょうか。

ウイキペディアではこのように労働を考えています。

労働(ろうどう,英: Labour)とは、奴隷制の一形態として人間が肉体や道具を用いて対象にはたらきかけ、人間という動物にとって有用なもの、無用なもの(産業廃棄物など)をつくりだす行為である。」

え〜そうなのか?労働って奴隷制の一形態。つまり人間にとっては、自らの意思ではなく、「させられる」ものであり、そもそも働くというは、苦しみを伴うものだということです。

働くということは、自然人の範疇には存在しえないことだということでしょう。

いやでもしなければいけない、苦行なのでしょ、労働というものは。

つまり、我々はそもそもしたくないことをしているというより、強いられているのです。だから、働きたくない、会社を辞めたいとふと湧き出るほのかな思いは、あなたが特別なのではなく、人間に宿されていることであり、その時、あなたは、何かから解放されて、自由人、自然人になることができるとかすかな期待を持つ、すなわち、根源的な意味での人間への回帰の願いだろうと思います。

なるほど我々は『無理』を強いられて働いているのです。ニンベンに動くは主体性が感じられますが、そもそもは「動かされる」ということが強かったのでしょう。

ではどうしてこれほどまでに強制感を伴ったのでしょうか?

これは想像ですが、働く、否、働かざるを得ないのは、まさにいつの時代も生きなければならないためでしょうから。

私が、妻が、夫が、子どもが、母が、父が、生きなければならないから、みな、自らの快を捨てて、働いた、いや、働かされたのでした。

原始社会では、狩りをして、畑を耕して、生きるために必死だったのだろうと思います。

労働の神聖さを強調する人々は、ここにその根源をおいておられるのだろうと思います。

この人間の本質的欲望とは一線を画す労働は、いったい社会の中で、どのように位置づけられ続けてきたのでしょうか?

この問いへのひとつの思索が前々回までのものです。

この労働、そして貧困の問題を、次回以降、改めて、エリザベス救貧法の制定に至った背景のひつつである、宗教改革との関係から検討してみたいと思います。



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