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zoom RSS 力は弱さの下に隠されている

<<   作成日時 : 2012/08/10 10:53   >>

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彼の思想は、すなわち、頑張っている人間が神から救われるのではなく、イエスキリストという一点において、誰もが誰でもが救われるのだという事だろうと思います。

ではなぜ、このような間口が広い考え方が、救貧法の背景に深く影響を与えたかという事です。

 ここで注目しているのが、キリストの恵は、人間的な思いを超越しているということです。

 一方的な神の愛は、人間的な思いの中で語られるべきではない、すなわち、カトリックが行っていたような免罪符の販売のような行為は、許されるはずもない、大事なのは、たただ、キリストの言葉に立ち返ることだ、そこからすべてをスタートすることだということではなかったのではないでしょか。そのためには、自分の身と気持ちを律して生きていくという意味での禁欲主義が派生したとも考えることができます。

ルターと共に初期宗教改革主導者のカルヴァンは、神から与えられた職業を重要に考えて、そこから派生する蓄財さえも認めています。禁欲的に生きるという価値はルターのキリストに立ち返るという中で生まれてきたのではないでしょうか。

その意味でいえば、カトリックの慈善は、神の意志から逸れたものであるという認識の様に思われます。

ルターは次のような言葉を残します。

「力は、弱さの下に隠されている」
 

すなわち、すべての人は弱さの蓋さえあければ、そこには神からの力が存在するのだ、と考えていたのだろうと思います。

誠実に努力し、質素で倹約の生活を送り、自分が一心に神様に向き合い、そして神を第一とする生き方をすれば、(頑張れというのではなく、あなたは神から愛されているのだというメッセージを受け入れて毎日を祈りと献身のために過ごすこと)その弱さの蓋は必ず解放されるのだと、そんなことを言っているのでしょうか。だから貧困は、精神と信仰心の貧困、貧弱化と堕落と位置づけて(その結果と考えて)、だから徹底的に排除しようとした姿勢を窺がえます。

救貧法は、この“真面目に生きろ”というある意味の宗教的な思想をバックボーンにして、人々の生活に国家が介入する端緒を作った制度です。



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